善玉の欲

  • 投稿 : 2009 年 11 月 30 日

家庭内にゴタゴタ続きの友人が、「欲を捨てようと思う、そうすれば楽に生きられる」と、悟ったような口調で言いました。さる有名な宗教家の本を読んでそう思ったのだとか。欲というのは捨ててしまえば確かに楽かもしれません。欲さえなければ、あるがままを受け止めるだけですから泰然自若として生きてゆけそうです。

でも、彼女のそんな言葉を聞きながら、まだ50代なのに、ここで欲を捨ててしまって良いものだろうか、欲するものを手に入れるという情念こそが、生きている証なのではないか、飛躍への足がかりになるのではないかとふと思ったりもしていました。あと30年近い人生、欲もなく、ただただ平穏無事だけを目標に生きるということに、私は賛成できずにいます。「足るを知る」という言葉がありますが、それは身の程知らずの欲求を諫めるものであって、欲を捨てよということではありません。どこまでも貪欲に生きる、そんな生き方も素晴らしいのではないでしょうか。欲に振り回されてしまうようであれば、それは生き方、考え方に根本的な問題を抱えているのです。

 

芸術家

  • 投稿 : 2009 年 11 月 29 日

ちょっとだけですが、名前の知れているバイオリニストとたまたま面識があり、ある日友人から、イタリア料理店で弾いてくれるようにお願いしてもらえないかしら相談がありました。ギャラを聞くと、とてもとてもお願いできるような額ではありません。でもまあ断られたらそれまでと、失礼を承知でお話しをしました。ちょうどその日は空いているのでOKよ、と気軽に承諾してくださったので拍子抜け。

彼女はニコニコしながら、「みんなにバイオリンを聴いてもらいたいの。みんなに音楽を好きになってもらいたいの」と言うのです。プログラムも盛りだくさんで、ほんとうに楽しんでもらいたいという気持ちに溢れたものになりました。聴いた人を幸せにできる力を持っているバイオリニスト、みんなに幸せを感じてもらいたいと願っているバイオリニスト…、これこそが「芸術家」なのでしょうね。高みからの芸術では、決して人の心は動かせないとそう思います。

 

まだまだこれから

  • 投稿 : 2009 年 11 月 28 日

定年退職をした人、まもなく定年退職をする人が周囲に結構います。早ければ60歳、遅くとも65歳が定年のようですが、いずれもまだまだ仕事のできる年齢、もったいないですよね。少子化が懸念され、国を支える人たちがどんどん減ってしまうことを社会は憂いていますが、まだまだ使える人材を仕事の中枢から排除し、新しい人材がいないと嘆いているのですから、これほど矛盾した話はありません。

もっと残念だなあと思うのは、定年退職をすると守りの姿勢に入ってしまわれることです。確かに60歳を超えてから冒険をするといのはリスクがありそうですが、あと20年以上残された人生を、ただただ命をつなぐためだけに生きてゆくのは、あまりに寂しいように思います。家庭の中だけで生きるのではなく、社会の中で生きる・・・それも、ボランティアではなく、積極的に対価を求めて生きるという生き方を模索しても良いのではないでしょうか。貪欲に生きつづけたいですね。

 

感謝の気持ちはあるけれど

  • 投稿 : 2009 年 11 月 26 日

午前中忙しくて昼食の準備が間に合わず、仕方なく、近くのファミレスでランチを済ませてきました。元気をつけようと思い、注文したのはトンカツ。もともとファミレスで食事をするのはあまり好きではなく、その理由というのも、食材がなんとなく信用できないからなんです…。

きょうもトンカツを食べながら、これはブラジル産の豚なんだろうなあとか、この玉子は一個10円にもならない、抗生物質漬けの鶏の母さんが産んだものかなあとか…。深く考えたら一口も食べられなくなってしまいそうなことばかりを思い浮かべならが食べていました。食材というのはどんなものであれ、貴重な「命」を私たち人間のために捧げてくれているのですから、感謝をしないわけにはいきません。でもきょうは、そんな気持ちをついつい忘れさせてしまいそうなランチでした。恵の神様、ごめんなさい・・・。

 

価値観が違うのに

  • 投稿 : 2009 年 11 月 25 日

会って話しをすると気を乱されてしまい、たちまち憂鬱な気分になってしまう知人がいます。本人はいたって明るい性格ですし、生き方も前向きですから、話をしていて楽しくないというわけではありません。でも、どうも彼女と話をすると翌日からしばらく元気を喪失してしまうのです。昨日も同じようなことを体験しました。

なぜこんな気持ちになってしまうのだろうと考えてみて思い当たったのが、「価値観の強要」です。これまで生きてきた道も環境も趣味もまったく違うのですから、考え方は違って当然なはずなのですが、あなたの考えは間違っている、自分の考え方が正しいという発想で相手の生活を批判してくるのです。

こうでなければいけないとか、こうあるべきだという自分流の理論を他人にあてはめたところで、根底にある価値観が異なっているのですから相容れるはずもありません。そんな不協和音が心の気を乱すようです。他人に自分流の生き方を説くということ…それは「自分は常に正しい」という、傲慢な思い違いでしかありません。

 

「ねばならない」はやめましょう

  • 投稿 : 2009 年 11 月 24 日

少し風邪気味のせいもあって体がだるいのですが、それでもやらなければならないことがたくさんあって休むことができません。高熱でもあればいまどきのこと、インフルエンザなんていう心配もありますから、お休みをしないわけにはいきませんが、その点、熱がなくてだるいだけ…というのが一番体にムチ打たなければならない状態で、ちょっと辛いですね。

こんな時の家事や仕事が辛いのは、ただ単に体が重いというだけの理由だけではなく、「こんな状態なのに○○をしなければならない」という、一種の強迫観念のようなものに追い立てられてしまうからでもあるのです。このぐらいでいいか…と思えればぐんと気が楽になります。仕事が遅れた分は後で取り戻せばいいのです。これは完璧主義の人に特に言えることですよね。「ねばならない」をやめて心に余裕を持つことで、却って実力を思う存分発揮することができますよ。

 

人ごみから帰ったら

  • 投稿 : 2009 年 11 月 23 日

郊外のディスカウントスーパーに出かけて、あまりの人の多さにびっくり。お天気があまり良くなかったので、近くでショッピングをして3連休のまん中を過ごそうといういうことなのでしょうか。人のたくさんいるところが苦手なので、買い物もそこそこにして逃げ帰ってきてしまいました。人ごみが嫌いということもあるのですが、たくさん人の集まるところに長い時間いると、体がものすごく疲れてしまうのです。

そのことを昔ある占い師さんにお話したところ、人ごみの中にはいろいろな浮遊霊が混ざっていて、霊感のある人のところにヒョイと憑いてしまうことがあるのよ…という、ちょっとオカルト風な説明をされたことがありました。目に見えないことですから、信じるか信じないかは自由ですが、モグは「信じる派」です。なんだか疲れが尋常じゃないという時には、帰ってからお塩を振って家の中に入ります。

 

プロの技

  • 投稿 : 2009 年 11 月 22 日

結婚前の職業がアナウンサーだった友人はいつも陽気で賑やか。活き活きとした表情、明るい笑い声が、側にいてもとても気持ち良く、会うと元気を貰って帰ってくることができます。そんな彼女に元気の秘密を聞いてみると意外や意外、自分の体に不調を抱えていること、さらに家族の問題もあって、精神的には決して楽な状態ではないのだそうです。でも、それを表面に出してしまえば家庭が暗くなってしまいますし、なによりも自分が落ち込んでしまうので、できるだけ明るく振舞うことにしているのだとか。

ちょっとしたコツを教えてくれました。「人から無理難題を言いつけられた時、あなたならどう返事する?」という問いに、「そんなことできないわ」と困り顔で答えてみせると、その時の表情が問題なのだと言うのです。大抵、しかめ面をしてしまうけれど、笑顔で同じ言葉を言うことで相手の反応も違ってくるし、否定するという自分自身のマイナスの感情もかなりカバーされるというのです。実際に2通りの言い方をしてみると、確かにそのとおりなんですね。常に口角をあげて人に接する、これが秘訣なんだそうです。アナウンサー流プロの技!

 

ほんの瞬間の人生

  • 投稿 : 2009 年 11 月 21 日

ショーウィンドウに映る自分の姿や、電車に乗っていて窓に映る自分の姿…。最近、そんな自分の姿を見てドキッとすることがあります。今日も電車のつり革につかまり、疲れきった顔で外を眺めている自分を見てがっかり。生彩がないというのかなんというのか、あああ…と思わずため息をついてしまいました。考えてみれば20代、30代ではないのですから、陰影のないすっきり顔が映るはずもなく、老け顔になってしまうのは仕方のないこと。これも自分だと認めるしかないんですよね。

人間の寿命はせいぜい80年、生きて100歳といったところです。きょう同じ電車に乗り合わせた人たちだってその誰もが後100年後には一人として残っていないのですから、若いとか年を取っているといったことはほんとうに些細な、宇宙の時間にすれば塵の一粒にもならないような話し。若いか年を取っているかとは関係なく、今与えられた命を精一杯生きること、そうしないと誰もが無為な人生になってしまうのではないかと、そんなことを考えていました。

 

魔除けより掃除

  • 投稿 : 2009 年 11 月 20 日

きょう、町内会の用事でご近所のお宅に伺ってびっくり。玄関を入ると靴の脱ぎ場のないほど靴が散乱しており、どうぞと言われて中に入っても座る場所がありません。床に散らばっている本や新聞紙を遠慮がちに隅に押しやってやっと座りましたが、こんなに散らかっているのに、家族の誰一人として片付けようとしないのですから、とても不思議な気がします。落ち着かないですよね、汚れた部屋って。

部屋を見渡すとさらに異様な雰囲気。壁のあちこちに「お札」が貼ってあるではあるのです。なんとか除けといった類のものです。これだけ汚くしていたら災厄が訪れて当然、魔も寄りつくに決まっています。家の中がとても乱雑だと「気」が乱れます。家族同士の争いが絶えなかったり、子どもの非行や病気など、どれも気の乱れが関係しているのです。お札を貼る前に家の掃除をしたほうがずっと運が良くなるのにと思いながら、部屋の乱雑ぶりとは似ても似つかない、ファッショナブルで美しい奥様の顔をまじまじと見つめてしまった一日でした。

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